sudoken Blog

Kaizen PlatformのCEOのブログです

あなたの旬はいつですか?

ども

意識高い系で社畜のsudokenです。

 

前回のエントリーが主にはてブを中心に賛否両論を巻き起こしまして、

初炎上してるのに残念ながら、仕事がクソ忙しくてあんまり参加できずに

とても残念でした。

 

そりゃ色んな考え方があるよなーと率直に思いながらも、

全くといっていいほど、懲りてません。ベー!

 

バーカ!バーカ!

どんだけ意識低い系なんだ!

と言ってるだけだとお寒いので、あんまり届かないと思うんだけど

どちらかというと3年以上経ってしまった人や

意識低くて、社畜じゃない人に向けて書いてみたいと思います。

 

AmazonのJeff Bezosが「Regret Minimization Framework」という話をしています。

自分が年老いて、これまでの人生を振り返った時に

最も後悔することを少なくする生き方をしよう

という考え方だそうです。

 


Jeff Bezos - Regret Minimization Framework - YouTube

 

僕は西川さんが書いたブログから、この言葉を知りました。

2003年なので、ちょうど僕が社会人1年目の時の文章です。

凄く、心に残った文章でした。

 

※参照

人生の成功の定義をかえよう

http://japan.cnet.com/sp/column_nishikawa/20054706/

(余談だが、その後の人生で西川さんに対面できたことは嬉しかった)

 

 

また、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチをご存知な方は

沢山いらっしゃると思います。


スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版 - YouTube

 

その中でも、僕が好きなのはこのパートです。

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

毎日を人生最後の日のように生きたら、いつかその通りになる

というフレーズです。

 

別に仕事じゃなくてもいい

なんでもいいんだけど、

何かに打ち込めるものが欲しいと強く思ってきましたし、

今もそう思っています。

 

それが仕事だったら幸せだなと、そうしたいなと思って就職し、社会人になりました。

僕は、就職活動の際に

「あなたの人生に大きな影響を与えた本はなんですか?」

という質問に対して、

スラムダンクの最終巻です」

と答えていました。

 

周りが、「道は開ける」「資本論」とか言ってる場でw

「なんでですか?」

と聞かれた時にこう答えていた。

 

「一番好きなシーンは、主人公が試合中にケガをして監督からここぞという場面で退場を勧められるシーンで、こう叫ぶんです

「オヤジの栄光時代はいつだよ…
 全日本のときか?
 オレは……
  
オレは今なんだよ !!

 こういう日々を仕事で過ごしたいです。」

 

まあ、これで普通に落ちた会社も沢山あったんだけど、

たまたま拾ってもらえて、仕事に夢中な日々を過ごさせてもらった。

たぶん、社畜だしワーカホリックだと自分でも思うんだけど、

僕は、ワークライフバランスという言葉がしっくりこない。

ワークもライフだし

ライフもワークだから。

 

そうした社畜人生を突っ走って、執行役員として

大きな組織の経営をやっていた時に、はじめて

スティーブジョブスじゃないけど違和感を感じました。

 

「今30代をこうやって会議室で過ごしてていいのかな?」

ということです。

週に平均50本の会議があって、組織とか人事とか制度とかオトナな仕事もしてました。

 

でも、その仕事をするのはもっと年齢を重ねてからでもいいなと

素直に思いました。

僕自身は、商品やサービスの企画が好きですし、得意な方だと思っていますが

いわゆるインターネット業界にいますので、生き馬の目を抜くスピードで

新しいサービスやデバイスがボコボコ出て、世界を席巻していきます。

 

もちろん、どの業界も厳しいと思うのですが、

僕は、この領域における自分の「旬」は35歳くらいかなと見立てました。

そこまでにシリコンバレーで勝負してないときっと勝負にすらならないなとも

思いました。

それでなくても、厳しい競争だし。

 

もちろん企画以外のとこで勝負するなら、もっと年齢重ねてからでも

やり方あると思うんですが、現場の手触りを感じながらサービスをつくっていく

ということをやらないと死ぬ時に後悔するなと思いました。


そして、僕にとっての成功の定義は

そういう何かにひたむきな毎日を過ごすことなんです。

別に、なんでもいいと思うけど、意識高くても、低くてもいいけど

できればワクワクする毎日を送れればいいなと思っています。

 

なので、昨年スタートアップし、今に至ります。

 

完全に私事ですが、ちょうど今日娘が1歳になります。

僕が、娘に何か残せるものがあるかというと、たぶんあんまりないだろうなと思います。

極論言えば、「生き様」以外に残せるものってないんじゃないか?

と思っています。

 

「お父ちゃん、仕事に関しては思いっきりやったよ」

「お前が大きくなった時に、もっといい世の中にできるように全力で頑張ったよ」

と娘が社会に出る時に胸を張って言いたい。

それ以外は、基本的にはダメ人間だしw

残念ながら仕事と運以外に誇れることが一個もないww

 

で、確かに僕はまだ30代前半の若造なんだけど

その短くて、狭くて、取るに足らないちっぽけな経験の中から言えることは

「いつかそうなったらいいな」

ということは中々実現しないものだということ。

 

「こうありたい!」

ということに向けて、超もがきまくってる方が確率論でいえば

助けてもらえるし、望んでる道に近づける確率は高い。

そして、なによりもそういう人生は面白い!ということです。

 

あなたの旬を逃さないように、今できることを最大限もがいてみる

というのが、後悔を最小化するための一つの方法論なんじゃないかと思います。

 

もし、環境やルールがそれを許さないという話であれば、

それを変えにいくのが経験を積んだ大人のすべきことじゃないかと思います。

または、新しいことを始めるというのも手かと思います。

どちらにせよ、妥協する人生と比べると孤独な作業だし、困難も多いと思います。

 

でも、そういう時に必ず支えてくれる人が出てきます。

仲間、家族、恋人、上司、部下、先輩、後輩・・・

そういう出会いやドラマも含めて、意識なんか高くても低くてもいいんだけど

行動し、挑戦する人生の方が得られるものはずっと多いと思います。

 

最後に、MITメディアラボの石井先生に教えてもらった詩を応援の意味を込めて。

 

道程   高村光太郎

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
たうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光を放出し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そしてその気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところにたちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのように苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため