今の日本に必要なのは「ハッカー・ウェイ」だ
昨日は、研修だった。
松岡正剛氏が企業幹部候補向けに実施している研修で、10月より参加している。
昨日のゲストは元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏だ。
建国記念日に佐藤優氏と「国家論」を考えるというディープなものだったが、そこで非常に面白いことを聞いた。
「既存の解決策で解決できない問題が生じてきたら、自分たちの立っている土俵の方を疑うべきだ」
非常に示唆にとんだコメントだと思う。
今世界が目の前にしている問題は、国家や資本主義、企業体などの既存のシステムの構造的な問題に帰結することがとても多い。
研修の前に佐藤優氏の国家論を読み込んで臨んだのだが、私自身が非常に興味を持ったのは、システムの「隙間」の問題であった。
興味のある方は、ぜひ読んでいただきたいのだが、資本主義に国家が介入する「隙間」があるという点が非常に興味深かった。
どんな巨大なシステムもシステム同士をつなぎ込むための隙間がある。
その隙間を巧みにハックすることで、世界を良い方向にまわすことができないか?と考えた。
先週、FacebookのIPOに先立ってマーク・ザッカーバーグの書簡が話題になっていた。
http://jp.techcrunch.com/archives/20120201facebook-ipo-letter/
そこで、「ハッカー・ウェイ」についてこう言及されている。
ハッカーウエーとは、継続的な改善や繰り返しに近づくための方法なのです。
ハッカーは常に改善が可能で、あらゆるものは未完成だと考えています。
彼らはしばしば、「不可能だ」と言って現状に満足している人びとの壁に阻まれますが、
それでも問題があればそれを直したいと考えるものなのです。
既存システムが制度疲労を起こしている場合、そもそもの制度を疑え。
どんなシステムにも隙間がある。
隙間からシステム自体をハックしてしまう。
そんな「ハッカー・ウェイ」こそが今の日本に最も必要な方法論かもしれないと夜の西麻布で酔っぱらいながら、そう思った。
成長の解釈
弊社には成長ガイドラインというものが存在する。
要するに、社会人年次に応じて、どれくらいのミッションを会社が期待しているか?というラインのことだ。
人によって解釈が色々あるなぁと色んな人と会話する度に思う。
例えば、もし遅れている場合は焦る人もいれば、なぜ年次に応じたミッションを与えてくれないのか?という人もいる。
ミッションが上がらないとマズイので評価されようと不必要にアピールしたり、上司の顔色を伺ったりしてしまう人もいる。
査定評価と任用は割と別個で考えているケースが多いと思うのだけど、その辺はきっと査定会議に出ているマネジャー以上じゃないと感覚がわからないものなのかもしれない。
最初にこのガイドラインを見た時、僕は非常にシンプルな解釈をした。
要するに、
「自分ができるようになったことは、まだ出来ない人へ(原理原則)渡す」
「できない(できるかどうかわからない)ことに自分は挑戦する」
という2点だと思った。
常に、できるかどうかわからないテーマに挑戦し続けてほしいというのが会社のメッセージなんだろうなと考えた。
自分の能力の限界へ常に挑戦することを求められているという非常にシンプルな趣旨と解釈すると、
ミッションを上げてもらうために、気を使う必要もない。
認められるかどうかというアピールに時間を注ぐのももったいない。
誰よりも挑戦する、その時間をつくるために出来たことは人に引き継ぐ。
引き継いだ人は、基本的にはできないことに挑戦している状態なので、サポートをする。
あとは、結果を出すために自分のできることを拡げ、周囲をサポートする。
そういうことなんだなーというのが成長ガイドラインの僕の解釈。
その構図だと、皆がそれぞれ何かしら自分がまだできないことや困難なことに挑戦していることになる。
すでに出来る人がそれをサポートしているということになる。
挑戦する組織であってほしい。
挑戦を支援する組織であってほしい。
そういうメッセージなんだろうなと僕は受け取った。
かつてマネジャー研修で教わったことに
「メンバーは皆誰しも仕事を通じて成長したいと思っている。
そのことだけは、盲目的に信じることがマネジャーの仕事だ。」
というものがある。
ああ、マネジャーの仕事っていいもんだなとこれを聞いて思った。
いろんな人がいるので、そうじゃないかもしれないんだけど
挑戦する組織であってほしいなと思うのです。
それをなるべく邪魔しないようにしたいし、
もし邪魔があったらどけるのが今の僕の仕事なんだなと思っている。
間違った方向への挑戦を止めるのも僕の仕事なんで、矛盾することもやっちゃうんだけどね。
今週は内定者や就職活動中の学生さんと会話する機会が沢山あったので、最後にメッセージ。
これから社会人になる皆さん、
どんな小さな範囲でも構わないので
ぜひとも不可能に挑戦し続ける社会人生活を送ってください。
そっちの方が面白いですから。
・・・大変ですけどねw
イタリアで受けたインスピレーション
イタリアを訪れたのは素晴らしい経験だった。
天国のような景色。
死ぬ前にもう一度必ず行きたいホテルがある。
Grand Hotel Convento Di Amalfi
http://www.agoda.jp/europe/italy/amalfi/grand_hotel_convento_di_amalfi.html
切り立った崖の上にある古い修道院を改修したホテル。
トンネルを入るとエレベーターがあって、上がっていって扉が開くと目の前に水平線が見えるというドラマティックなエントランス。
水平線をのぞむテラスも花に囲まれた回廊で天国のよう。
部屋の前にテラスがあって、カウチがおいてある。
眺めはこんな感じ。
シャンパン飲みながら夕暮れを迎えるとこんな眺め。
朝陽も素敵でした。
さて、そんなイタリアからインスピレーションを受けたことがある。
イタリアでは悪質な客引きが多いと聞いていたが、実は全くといっていい程会わなかった。
もちろん、大都市ではまだ一部残っているのだろうけれど、私たちの行った観光地ではほぼ皆無に近い状態だった。
なんでだろうか?と考えながら歩いていると、かなりのレストランにフクロウのマークのシールが貼ってあることに気づいた。
よくよく考えれば、私自身も使っているTripadviserのロゴだった。
私たちも、必ずホテルのコンシェルジュに近くの美味しいレストランをリザーブしてもらうか、Tripadviserで評判のよいレストランをリザーブしてもらうことにしていた。
※イタリア語がしゃべれないので、英語のできるホテルのコンシェルジュへ色々頼むのが便利でした
ここからは、仮説に過ぎないので事実とは違うかもしれないけれどインスピレーションなので気にせず進みます。
Tripadviserが普及したことで、悪質な客引きが職を失っているとしたら?どうなるのだろうか?と思考実験をしてみた。
おそらく、この実験は無駄ではない。
なぜなら、南イタリアの小さな街でも相当数の口コミが存在しており、日本語のレビューもかなり存在する。
観光客も、iphoneを持って歩いている人が沢山いた。
店までのラストワンマイルも、Google MapとGPSを組み合わせれば、迷うことはない。
凄く便利な時代である。怖いのはバッテリー切れくらい。
インターネットは、悪質な客引きを減らしたけど逆を返せば、仕事を減らしたということになる。
効率化の裏側には、淘汰される非効率が存在する。
悪質な客引きはいなかったけど、一日中お酒を飲んでるおじさんたちが沢山いた。
彼らが、職を失ったんじゃないかと思えて仕方なかった。
世界規模で、このペースで効率化を進めるとどうなるのだろうか?
ネットは、さまざまな産業を飲み込みながら何を生み出すのだろうか?
沢山の失業者を生み出すのか?
そんなことを、思うようになった。
完全な善なんて、ほぼない。
我々が拡大する産業は、トレードオフで何を生み出すのか?
これまで考えたこともなかったが、このことから目を背けてはいけないと思った。
理解した上で、それでも前に進めたい。
そう思える、いい事業を創りたいと思うようになった。
イタリアで受けたインスピレーションは、「太陽が上っている場所があれば、同時に夜になる場所がある」その”裏側”も理解することも大事ということ。
何を意思決定しても、功罪が伴うことを忘れないでいたい。
僕らがネットビジネスを拡大することは、あの美しい街にも失業者が増えるかもしれないということだ。
天国のような景色のあの街にも。
それでも、やりたいと思える事業をやりたい。
リーダーに必要な「祈り」
先週、ぎっくり腰の中で川崎大師にお護摩をしてもらいに行った。
以前にいただいた、お札を納めるために持っていった。
それを、納める時に袋から取り出した際に鮮明に思い出した。
本気で、この事業をなんとかしたくてすがるような想いで事業繁栄の護摩に来たことや、神様仏様助けてください!と本気で頼んだことを。
すげえ切羽詰まっていたなと改めて思い出した。
決して、今も自信満々かと言われるとそうではないんだけど、もうどれだけ頑張っても怖かった。
努力で頑張れる範囲のことは最大限やるけど、その先にある運みたいなものも何としてもたぐり寄せたくて、真剣に祈った。
あれだけ頼んだら、そりゃ大師さまも聞かないわけにはいかないだろう。
いつも運はいい方だけど、それはすげえ真剣に祈ってるから。
リーダーは、運がいい方がいい。だから、祈った方がいいと思うよ。
でも、ぎっくり腰は治っていない。むしろお堂が寒くて悪化した。
リーダーは、ぎっくり腰には気をつけた方がいい。仕事に悪影響しかないから。
未来なんてわからない
あけましておめでとうございます。
また、Blogをはじめてみました。
最初のエントリーは2011年を振り返り、2012年に向けて考えを整理するためのエントリーにしたいと思います。
2011年は、公私ともに色々なことがありました。
3月には、震災が起き
4月に、結婚式を挙げました。
私は、福島県いわき市の生まれでして、縁ある土地が深い悲しみでくれたことは大きな出来事でした。
もちろん、私だけでなくご両親・ご親戚・ご友人が被災された方も沢山いらっしゃると思います。
その中でもお祝いに駆けつけてくれた上司・同僚・友人・親戚の皆さんには心から感謝しています。
家族ができたことで、家に帰りたくなったのは大きな変化でした。
家庭があるからこそ、今までよりも真剣に人生や仕事のことを考えるようになりましたし、何よりも、家族がいるということの絶対的に揺るがない安心感というか、一人じゃない感は凄いものがあります。
2人で、無事に暮らして来れたことが当然ではない、有難いことだと感じることができた1年でした。
また、今年は色々なところを訪れました。
・箱根
・能登
特に、イタリアは色々なインスピレーションを受けました。
これについては、また別の機会に書きたいと思います。
仕事面でいうと、組織長になったことは大きな変化でした。
とにかく、
「この事業で何を実現するのか?それは本当にしたいことなのか?」
について考え続ける日々でした。
事業の目的の設定について繰り返し考え続ける。
Whyを自分に問い続けるという時間は、ひたすら修行というか禅問答のようでした。
この事業のWhy(目的)へ少しでも近づけるように意思決定を日々、毎会議、すべてのイシューで繰り返す1年でした。
そのことを通じて、少しだけ見えてきたことは、大きく分けると2つのことでした。
1:意思決定は、常にトレードオフの関係性であること
2:意思決定を実施し、成功するか失敗するかは重要ではなく、前進しているか?こそが重要であること
これは、結構苦戦した問題でした。
1については、もう少し分かりやすく言えば、「完璧な意思決定など存在しない」ということです。
常に、何かを意思決定するときには何かの選択肢を捨てることに他なりません。
また、その決定に伴うデメリットや被害を被るステークホルダー(利害関係者)が存在します。
意思決定の裏側にあることに目を向けると意思決定することへの恐怖がわいてくるわけなのですが、目を背けるわけにはいかないし、2番目の命題にもつながるのですが、意思決定をしないわけにもいきません。
つまり、意思決定の裏側にある負の感情や自分の恐怖と向き合い続けることが重要だと気づかされました。
2番目のことを分かりやすく言い換えると、「成功や失敗がわかる前進こそが善である」ということです。
事業を経営していくと、当然ながら様々な意思決定のシーンに直面します。
それは、当然ながら情報も不完全な状態で行わなければならないケースがほとんどです。
というか、情報が出そろっていれば、当たり前ですけど現場の担当者やマネージャーの意思決定が相当の可能性で正しく実施されます。
私のところであれば、優秀なメンバーに恵まれているのでそういったことは自然になされているケースが他と比べれば多いと思います。
となると私のところにあがる問題は、割り切れない問題や悩ましい課題が確率論から見れば多いわけです。
当然のことですが、優秀なメンバーで出せなかった正解を私が出せるわけでもないですし、そもそも1番目でも書きましたが、絶対的な正解がないケースがほとんどですから、常に成功する意思決定をできるわけではありません。
ただ、成功するにせよ、失敗するにせよ意思決定をして事業を前進させることが善なのだと気づきました。
これは、大きな気付きになりました。
要約すると「そもそも正解なんてないことに対して、何らかの結論を出し、その正否に対して向き合い続けることこそが善だ」ということになります。
当然、組織長なので事業を成功させないとクビなわけですが、それは結果論になりがちです。
つまり、結果が出てみないとわからないので、それはヤバいわけです。
過程で、善というか正しいプロセス構造を持っていないとチェックできないわけです。
それは、意思決定の際の正しいプロセスを自分に持たないと困るということです。
私だけ困るのではなく、組織全員で困るのでメンバーはたまったものじゃありません。
常にプロセスとしては、上記の「そもそも正解なんてないことに対して、何らかの結論を出し、その正否に対して向き合い続ける」という意思決定を繰り返して事業をとにかく前進させることが善だと気づきました。
これは、教科書でもなんでもなく実践の中から得た気付きでしたので大きかったです。
間違っていても前進さえしていれば、方向転換は可能です。
事業が前進しないということは、そこに携わる人が成長しないということになります。
常に意思決定のシーンでは、意思決定しないリスクやデメリットの方が圧倒的に多いわけです。
昨年は、誰もが不確実性を痛感する一年だったと思います。
東北を襲った震災
民主化に揺れるアラブ
ユーロ危機
これらのことからも、世界は不確実性にあふれているわけです。
1/fゆらぎという言葉があります。
詳しいことは、下記を参照して頂きたいわけなのですが、要するに自然のなかには揺らぎという不確実性が存在しているということです。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/fluctuation.html
私たち人間が美しいと感じる音や自然や風などはすべてこの1/fのゆらぎを内包していると言われています。
ということは、自然の一員である私たちの社会も1/fゆらぎにさらされているということだと思います。
まれに発生する巨大な台風
1000年に1度起きる確率の巨大地震
これらと同時に、身近に発生する様々なトラブルや課題。
別に組織長だけでなく、皆さんの周りでも意思決定のシーンに直面しまくってるはずです。
それは、下記を参照していただくと後半に記述されているのですが、1/fゆらぎは「フラクタル」という構造を持っているからです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ohtake/sky3.html
間尺を大きくしても、小さくしても似たような構図を持っているということです。
つまり、世界レベルで見ても、個人レベルで見ても同じような構図を持っているということです。
私が仕事を通じて得た気付きが、きっと皆さんにも役立つのでは?と思いましてエントリーしました。
じゃあ、具体的にどうすればいいのよ?ということに対する答えを私は持ち合わせていません。
どちらかといえば正しいという曖昧さの中で、意思決定をし、正しくても間違っていても、その答えが出ることこそが善だと信じて前進するしかないんだと私は思います。
私に出来ることは、勇気づけることくらいかもしれません。
新年に見たエントリーで私自身が勇気づけられたものを紹介します。
地図のない冒険へ
http://wired.jp/2012/01/01/%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%86%92%E9%99%BA%E3%81%B8/
このエントリーで紹介されているクリス・アンダーソンの言葉が痛快なまでに今を語っていると思います。
2011年の秋に『WIRED』US版の編集長クリス・アンダーソンに
インタヴューした際の言葉が強く印象に残っています。
彼は、iPad向けのデジタルマガジンのつくりかたについて、
「何が正しいやり方なのか、何ひとつわからない」と語っていました。
「5年後にアプリってものがあるかどうかすら定かではないし」とも。
「それじゃ困るでしょう」と問い返すと、
彼は肩を竦めて、嬉しそうにこう答えたのでした。
「Welcome to the Future. 未来へようこそ」
これこそが、2012年の今を最も体現する言葉じゃないでしょうか。
未来なんてわからない。
私たちにできることは、前へ一歩踏み出して、歩みを止めないことだけだ。
力強く言い切れることは、これくらいかもしれません。
2012年も、皆様と共に前進したいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。